【お知らせ】MSX40周年サイトの開設と独自ドメイン終了2023年になりました。いよいよMSX40周年のメモリアルイヤーです。35周年を祝うために開設した当サイトですが、結局具体化できたものはほとんどなく、サイトの更新もいつしか途絶えてしまいました。大変申し訳なく思っています。40周年のサイトが改めて作られていました。当ブログのコンテンツも一部提供させて頂きましたので、今後はこちらに引き継がれることになります。今度こそ、なにか大きな花火が打ち上げられることを願っております。2022.12.31 15:00
2018.7.17 ダイヤモンド・オンラインに西和彦氏が寄稿日本で初めてのパソコン雑誌「アスキー」を設立、マイクロソフトのビル・ゲイツと意気投合し、極東担当副社長を務めるなど、日本のパソコン市場創世記を牽引した西和彦。そんな西は今、研究者と教育者に軸足を置いている。これまでのIT革命を振り返ると共に、将来のIT世界について語ってもらった。2018.07.16 15:00有名人記事
2018.6.27 MSX 35周年の誕生日(その2)おめでとう❗🎂🎉6/16が「MSX規格の誕生日」ならば、6/27はMSXが真の意味で「世界統一規格になった日」なのです。とにかく2回目の記念日おめでとう❗あー、やる気が出ねぇ…(^-^;2018.06.26 15:00規格
2018.6.16 MSX 35周年の誕生日(その1)おめでとう!当時の経緯については以下の記事もご参照ください。なお、誕生日(その2)は6月27日です。2つあるのもなんか変ですが、そのあたりの話はまた後ほど。2018.06.15 15:00規格
2018.6.10 第96回「南関東MSXユーザーの集い」開催この日、神奈川県川崎市で略称「ミナカン」と呼ばれるイベント「南関東MSXユーザーの集い」が開催された。今回で96回目の開催。年4回程度の開催ベースのため、このままで行けば来年には100回の開催を数える予定。「MSX・FAN」誌の休刊にともない、全国で自然発生的に誕生したユーザーたちによるイベント。その中でも「集い」系とは、要するにユーザーたちが集まっていろいろやること。MSX本体やモニターを持ち込んだり、MSXに関係するネタを持ってきたり、あるいは全然関係ないものを持ってきたり(^^;そんなMSXイベントの中でも、これだけの回数を重ねてきたものを他に知らない。もう当時のMSXユーザーの多くはアラフィフに差しかかっており、ほとんど近況...2018.06.10 04:00イベント
2018.4.5 伝説の番組『ウゴウゴルーガ』とMSX【以下引用】そんな制作チームの一員に、世界トップクラスのメディアアーティスト、岩井 俊雄(いわい としお)くんもいました。 (中略) CGのセットに子どもがいて、CGキャラクターがいた。セットが移動したり、キャラクターの表情が動いたりするのも、岩井くんがMSX(パーソナルコンピューターの一種)を使ってイチからプログラミングしてつくったお手製のものだったんです。2018.04.05 20:28有名人
2016.11.26 「ソフトベンダーTAKERU」30周年イベントが開催される11月26,27日の2日間にわたり、東京・秋葉原UDXにてイベント『いま蘇る、TAKERU伝説 ~レトロPCゲームと語る30周年~』が開催された。ソフトベンダーTAKERU(武尊)は、世界初のソフトウェアの自動販売機で、1986~1997年にわたって稼動した。後半には、通信カラオケ「JOYSOUND」に音楽データを送り届けるサーバの役割も果たしていた。現在で言うところのCDN(Contents Delivery Network)のようなものか。2016.11.26 01:00イベントハードウェア
週刊文春 2011.9.11号 劇団ひとり氏コラム「そのノブは心の扉」(連載第245回)小学生の頃、MSXという今思えば玩具のようなパソコンではあったが、いつもそれで遊んでいた。当時、「MSX・FAN」という雑誌があって、そこにBASICというプログラムが載っており、それを見ながら不器用な手つきでキーを一文字ずつ押していくのだ。ゲームのプログラムなどもあるのだが、それらは子供の僕には難し過ぎるので、中でも簡単そうなものを選んで打ち込んでいく。簡単といえども数時間はかかる。そして、ついに完成した『天ぷらを揚げる音』という実にシュールなプログラムが奏でる音に目を閉じて耳を傾ける。一体、何が楽しかったのか。いや、しかし何よりも辛かったのは、次の日に家に呼ばれてそれを聞かされていた友人達だ...2011.09.10 15:00有名人
2010.7.21 サイボウズ・青野社長、初めてのMSXはパソピアIQ挑戦者たちの履歴書(30):ゲームプログラマへの道を真剣に目指した中学生 選んだ機種は「MSX パソピアIQ」。当時発表されたばかりのPCの統一規格「MSX」の仕様に準拠した東芝製のPCだ。 早速、部活動や生徒会活動の合間を縫ってゲームのプログラミングに熱中する。愛読書も、小学生のころ購読していた『子供の科学』から、MSXの専門雑誌『MSX MAGAZINE』にステップアップだ。ゲーム用途が主だったMSXの専門誌には、当時各ゲームメーカーでヒット作を開発したカリスマプログラマたちの名前が踊っていた。中でも青野少年のあこがれは、後に『ぷよぷよ』というゲームで大ヒットを飛ばすことになるゲームメーカー「コンパイル」に所属する有名プログラマ...2010.07.21 00:00有名人記事