2018.7.17 ダイヤモンド・オンラインに西和彦氏が寄稿日本で初めてのパソコン雑誌「アスキー」を設立、マイクロソフトのビル・ゲイツと意気投合し、極東担当副社長を務めるなど、日本のパソコン市場創世記を牽引した西和彦。そんな西は今、研究者と教育者に軸足を置いている。これまでのIT革命を振り返ると共に、将来のIT世界について語ってもらった。2018.07.16 15:00有名人記事
2018.4.5 伝説の番組『ウゴウゴルーガ』とMSX【以下引用】そんな制作チームの一員に、世界トップクラスのメディアアーティスト、岩井 俊雄(いわい としお)くんもいました。 (中略) CGのセットに子どもがいて、CGキャラクターがいた。セットが移動したり、キャラクターの表情が動いたりするのも、岩井くんがMSX(パーソナルコンピューターの一種)を使ってイチからプログラミングしてつくったお手製のものだったんです。2018.04.05 20:28有名人
週刊文春 2011.9.11号 劇団ひとり氏コラム「そのノブは心の扉」(連載第245回)小学生の頃、MSXという今思えば玩具のようなパソコンではあったが、いつもそれで遊んでいた。当時、「MSX・FAN」という雑誌があって、そこにBASICというプログラムが載っており、それを見ながら不器用な手つきでキーを一文字ずつ押していくのだ。ゲームのプログラムなどもあるのだが、それらは子供の僕には難し過ぎるので、中でも簡単そうなものを選んで打ち込んでいく。簡単といえども数時間はかかる。そして、ついに完成した『天ぷらを揚げる音』という実にシュールなプログラムが奏でる音に目を閉じて耳を傾ける。一体、何が楽しかったのか。いや、しかし何よりも辛かったのは、次の日に家に呼ばれてそれを聞かされていた友人達だ...2011.09.10 15:00有名人
2010.7.21 サイボウズ・青野社長、初めてのMSXはパソピアIQ挑戦者たちの履歴書(30):ゲームプログラマへの道を真剣に目指した中学生 選んだ機種は「MSX パソピアIQ」。当時発表されたばかりのPCの統一規格「MSX」の仕様に準拠した東芝製のPCだ。 早速、部活動や生徒会活動の合間を縫ってゲームのプログラミングに熱中する。愛読書も、小学生のころ購読していた『子供の科学』から、MSXの専門雑誌『MSX MAGAZINE』にステップアップだ。ゲーム用途が主だったMSXの専門誌には、当時各ゲームメーカーでヒット作を開発したカリスマプログラマたちの名前が踊っていた。中でも青野少年のあこがれは、後に『ぷよぷよ』というゲームで大ヒットを飛ばすことになるゲームメーカー「コンパイル」に所属する有名プログラマ...2010.07.21 00:00有名人記事
1992.10.5 伝説の子ども番組『ウゴウゴルーガ』開始フジテレビで早朝に放送された『ウゴウゴルーガ』は、あの『ひらけ!ポンキッキ』の前の枠であるにも関わらず、まったく違うテイストの子ども番組として制作された。セットは全編CGで、その中に2人の子ども「ウゴウゴくん」「ルーガちゃん」が登場。曜日ごとに変わるCGで作られたキャラクターと会話するコーナーがメインであったが、それ以上に注目されたのが途中にはさまれるショートコーナー。「プリブリはかせ」「ミカンせいじん」「あにき」など、そのシュールさには「意味がわからない」という声が続出した。この番組のCG制作には、後に世界的な映像作家となる岩井俊雄さんが参加しており、MSXとAmigaを使用していたという。MSXが本格的にテレビ番組に使用されてい...1992.10.04 21:30有名人
1986.4.2 アスキーとマイクロソフトの提携解消パーソナルコンピューター用ソフト開発の大手、アスキー(本社東京)の郡司明郎社長と西和彦副社長は日、東京・大手町の経団連会館で会見し、提携関係にある米マイクロソフト(本社シアトル、会長ビル・ゲーツ氏)との間で提携解消で合意、現在解消の時期、共同で開発したソフトウエア商品の権利問題などについて協議していると発表した。両氏によると、交渉での焦点は日本製十六ビットパソコンの基本ソフト(OS)である日本語MS―DOSの取り扱いや家庭用低価格パソコンの標準規格「MSX」を今後どちら側で販売していくか。いまのところ結論は出ていないが、マイクロソフト側が日本語MS―DOSを、アスキー側がMSXをそれぞれ所有することで決着しそうだ。【出典】日本経済新...1986.04.02 06:00企業有名人
1983.6.26 西和彦と孫正義によるトップ会談翌27日は、西和彦率いるMSX陣営の規格説明会の開催が予定されていた。そして、対抗規格をぶち上げた孫正義もまた、同じ日に記者会見をぶつけようとしていた。それを見かねた松下電器の前田一泰氏が事態の収拾に乗り出し、前日夜に二人を呼び、会談の場を設けた。実はその4年前、前田氏が二人を引き合わせたのが二人の初対面であった。会談は深夜に及び、結果的に合意が成立。晴れてMSXが真の統一規格となったのである。【参考文献】『パソコン革命の旗手たち』関口和一著/日本経済新聞社1983.06.26 12:00有名人
1955.10.28 ビル・ゲイツ氏誕生ビル・ゲーツ(マイクロソフト社社長)。パソコンフィーバーの仕掛人だといわれ、いまやパソコン界の教祖的存在だが、実際に会うと、痩せて眼鏡をかけ、ハイスクールの学生のような半袖の派手な開襟シャツ、ジーパン姿で、同じ年(二十五歳)の西和彦よりもさらに若く見え、部屋の中を神経質そうに歩きまわる姿は、どう見ても受験浪人だ。(中略)ビル・ゲーツ。一九五五年十一月シアトルの生れ。ゲーツの家はシアトルで十指に入るといわれるほどの名家で、父親は弁護士、母親は実家が銀行業を営んでおり、その銀行の役員と、ユニバーシティ・オブ・ワシンシンの理事を勤めているという。家庭がきわめて豊かで、しかも学校経営に深いかかわりがあるところなど、西和彦が育った環境に酷似し...1970.10.27 15:00有名人
1956.2.10 西和彦氏誕生西和彦、1956年(昭和31年) 2月、神戸の生まれ。西の母方の祖母・西田のぶが大正11年に神戸市で女学校(須磨学園)を設立し、西の父母は、現在そこの学校の教師をしている。「ぼくは、学校の中に家があるという、普通の人とはちょっとかわった環境で育ったせいか、小学校に入る前から高校の実験室に勝手に入って、先生に亜鉛と硫酸を入れると水素が発生するとか、オームの法則は I=V/R だとか聞いていましてね。それに父親がものすごいエレキかぶれで、新しい製品が出ると何でも買ってくるという人で……」【出典】『マイコン・ウォーズ』田原総一朗著/アゴラブックス1970.02.09 15:00有名人