1995.7.8 『MSX・FAN』誌、予告通り休刊ついにこの日がやってきてしまいました。しかし、この1年間、同人サークルや草の根パソコン通信の紹介など、雑誌がなくなってもコミュニティとしてのMSXを残していこうとする編集方針は、確実に現在にも受け継がれています。ありがとうMファン。さようならMファン。ちなみに、最終号の裏表紙には「MSX復活プロジェクト」なる謎の広告が。この広告ではスロットを4つに拡張する「拡張スロット」や、MSXにハードディスクを接続することができる「IDEインタフェース」といったハードウェアの発売が告知されていたのだが…残念ながら、これは後にMSX界の黒歴史として名を残すことになる。1995.07.08 01:00雑誌・書籍
1994.7.8 『MSX・FAN』誌、1年後の休刊を予告。定期購読を募る本家『MSXマガジン』が休刊してから2年。それでも唯一のMSX誌として発行を続けてきた『MSX・FAN』誌(徳間書店インターメディア、以下Mファン)が衝撃の発表を行った。「一定数の定期購読が集まらなければ、1年後に休刊する」出版業界において、休刊とはいきなり訪れるもの。期限を予告することは異例である。しかも、定期購読数によっては継続の可能性もあるという条件をつけた。読者たちの情熱と、北根編集長の情熱がつながり、この大きな決断へとつながった。しかし、すでにMファンは隔月刊となっていたが、定価は1,980円。定期購読を申し込むには、6冊分=12,000円を前金で用意する必要がある。読者の年齢層が低いMファンにとって、このお金を捻出できる...1994.07.08 01:00雑誌・書籍
1987.3.7 雑誌『MSX・FAN』創刊読者投稿によるプログラムリストを大量に掲載して人気を博した『マイコンBASICマガジン』(電波新聞社)。それに対抗する形で、同じくプログラムリストを売りにした『プログラムポシェット』(徳間書店インターメディア)。その精神を引き継いで誕生した『MSX・FAN』(通称Mファン)は、同じく読者投稿プログラムコーナーの「ファンダム」が最大の売り。その他にも「サウンドフォーラム」(後にAVフォーラムに変更)、「FM音楽館」「ほほ梅麿のCGコンテスト」といった読者投稿コーナーが豊富で、アスキー発行の『MSXマガジン』(通称Mマガ)と比較しても「みんなで作る雑誌」という意識が読者にも浸透していた。本家MマガよりMファンのほうが結果的に長生きしたの...1987.03.07 01:00雑誌・書籍
1983.11.8 『MSXマガジン』創刊アスキー公式の記事に「10月創刊」と書いてあったから、なんかおかしいと思ったのですよ。だって、創刊0号は10/6発売じゃないですか。だったら次は11月だと普通は思うじゃないですか。1983.11.08 01:00雑誌・書籍
1983.10.25 雑誌『I/O』がMSX規格を猛批判現在も発行され続けている雑誌『I/O』。もともとは西和彦氏や、後にインプレスを創業する塚本慶一郎らの手によって創刊されたが、後に彼らは仲間割れしてアスキーを創立。『月刊アスキー』を創刊する。そんな因縁もあってか、1983年12月号では「規格統一問題を考える」というMSX規格を徹底批判する記事が掲載された。MSXの性能は(当時の他のパソコンと比べても)低い、統一規格はパソコンの進化を阻害する、といった鋭い指摘もあったものの、全体的には怨念を感じる。当時、パソコン業界に進出した若き野心家たちは時に手を組み、時に衝突を繰り返した。この記事はそんな時代を象徴するひとつの記録と言えましょう。1983.10.25 01:00雑誌・書籍
1983.10.6 アスキー『MSXマガジン 創刊0号』発売価格は当時でも破格と言ってよい200円。まだ実機がなかったため、内容は「コンピュータが作り出す未来」の記事が中心でした。MSX参入予定メーカーのインタビューや、「遠藤雅伸 vs. 森田和郎」の対談記事も。そう、「ゼビウス vs. アルフォス」だ!(汗)表紙の写真は以下の記事を参照のこと。1983.10.06 01:00雑誌・書籍