2018.7.17 ダイヤモンド・オンラインに西和彦氏が寄稿日本で初めてのパソコン雑誌「アスキー」を設立、マイクロソフトのビル・ゲイツと意気投合し、極東担当副社長を務めるなど、日本のパソコン市場創世記を牽引した西和彦。そんな西は今、研究者と教育者に軸足を置いている。これまでのIT革命を振り返ると共に、将来のIT世界について語ってもらった。2018.07.16 15:00有名人記事
2010.7.21 サイボウズ・青野社長、初めてのMSXはパソピアIQ挑戦者たちの履歴書(30):ゲームプログラマへの道を真剣に目指した中学生 選んだ機種は「MSX パソピアIQ」。当時発表されたばかりのPCの統一規格「MSX」の仕様に準拠した東芝製のPCだ。 早速、部活動や生徒会活動の合間を縫ってゲームのプログラミングに熱中する。愛読書も、小学生のころ購読していた『子供の科学』から、MSXの専門雑誌『MSX MAGAZINE』にステップアップだ。ゲーム用途が主だったMSXの専門誌には、当時各ゲームメーカーでヒット作を開発したカリスマプログラマたちの名前が踊っていた。中でも青野少年のあこがれは、後に『ぷよぷよ』というゲームで大ヒットを飛ばすことになるゲームメーカー「コンパイル」に所属する有名プログラマ...2010.07.21 00:00有名人記事
1991.2.18 A1STは売れるもturboRの苦境が鮮明に【出典】「日経パソコン」1991年2月18日号トピック・レポート―業界-剣が峰の統⼀規格MSX-ソニー、三洋は新規格パソコンを⾒送り アスキーは16ビットの新規格「MSXturboR」を打ち出したが、MSX陣営3社のうちソニーと三洋電機はパソコン発売を見送った。松下電器のMSXturboR「FS-A1ST」は売れ行き好調だがソフトの対応が不透明で8年目を迎えるMSXは岐路に立たされている。(中略) 83年に米マイクロソフト社とアスキーが家庭用8ビット・パソコンの統一規格として提唱したのがMSX。松下電器、ソニーなど家電メーカーを中心に13社が市場に参入した。最盛期の84年から85年にかけては年80万台以上を出荷し、昨年4月には国内外...1991.02.18 01:00記事
1990.2.3 MSXの出荷台数が400万台を突破8ビットパソコン「MSX」が累計出荷で400万台を突破した。 (中略)国内だけでなく、南北アメリカ、欧州、アジア地域にも輸出されている。内訳は国内200万台、国外202万台。【出典】日経産業新聞 1990年2月3日付1990.02.02 22:00記事
1987.秋 MSXの出荷台数が260万台に。年内にも300万台到達へ。この問題(※1)については、案外、西も塚本もゆったりと構えている。「1987年秋で、MSX機は合計260万台。内訳は国内が170万台、海外90万台です。1987年内には300万台を軽く超えますね。 バカチョン(※2)のコンピューターが1000万台、わりとややこしいMSXパソコンがその約3分の1というのは、十分評価されていいのではないかと思います。」(※1) ファミコンがMSX最大の強敵となっていること。(※2) 原文ママ【出典】『アスキー 新人類企業の誕生』 那野比古著、文藝春秋1987.09.30 15:00記事
1983.6.11 BASIC変換装置? MSXは誤報から始まった日電・松下・富士通など15社、パソコンソフトを共用へ--変換装置取りつけに合意。他機種ソフトウェアとの互換性はパソコンごとに、他機種用ソフトウェアを移植するための自動変換装置を各メーカーが取りつけることで合意された。この装置は価格にして数万円程度のものが予定されているが、データレコーダーで読み込まれたソフトウェアをいったん基本BASICに書き換え、それをさらに各パソコン用BASICに書き換えて稼動できるようにする。【出典】日経産業新聞 1983年6月11日付1983.06.10 22:00記事