挑戦者たちの履歴書(30):
ゲームプログラマへの道を真剣に目指した中学生
選んだ機種は「MSX パソピアIQ」。当時発表されたばかりのPCの統一規格「MSX」の仕様に準拠した東芝製のPCだ。
早速、部活動や生徒会活動の合間を縫ってゲームのプログラミングに熱中する。愛読書も、小学生のころ購読していた『子供の科学』から、MSXの専門雑誌『MSX MAGAZINE』にステップアップだ。ゲーム用途が主だったMSXの専門誌には、当時各ゲームメーカーでヒット作を開発したカリスマプログラマたちの名前が踊っていた。中でも青野少年のあこがれは、後に『ぷよぷよ』というゲームで大ヒットを飛ばすことになるゲームメーカー「コンパイル」に所属する有名プログラマだった。
「ぼくが持っていたMSX機は非力なマシンでしたが、それでもコンパイル製のゲームは驚くほどスムーズなキャラクターの動きを実現していました。『これはすごい!』と思いました」
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中学2年生のとき、東芝のパソピアIQという4万円のMSXパソコンを買いました。お年玉3万円に貯金1万円を足して。今振り返ると、人生最大の選択はそこでプログラミングに目覚めたことだと思いますね。頭を使えば、どんなおもしろいものもつくることができる。電子工作だと、たくさんのパーツを買ってこなければならないのでお金がかかります。ところがプログラミングは、パソコン1台あればできてしまう。それどころか、自分の書いたプログラムをパソコン雑誌に送ってそれが掲載されると、何万円かもらえる。自分の進む道はこれだと思って、大阪大学の情報システム工学科に進みました。
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