パーソナルコンピューター用ソフト開発の大手、アスキー(本社東京)の郡司明郎社長と西和彦副社長は日、東京・大手町の経団連会館で会見し、提携関係にある米マイクロソフト(本社シアトル、会長ビル・ゲーツ氏)との間で提携解消で合意、現在解消の時期、共同で開発したソフトウエア商品の権利問題などについて協議していると発表した。
両氏によると、交渉での焦点は日本製十六ビットパソコンの基本ソフト(OS)である日本語MS―DOSの取り扱いや家庭用低価格パソコンの標準規格「MSX」を今後どちら側で販売していくか。いまのところ結論は出ていないが、マイクロソフト側が日本語MS―DOSを、アスキー側がMSXをそれぞれ所有することで決着しそうだ。
【出典】日本経済新聞 1986年2月6日付
やっぱりあの噂は本当だったのか--というのが、わが国パソコン関係者の共通の思いだった。というのも、前年の暮れあたりからアスキーにまつわるキナ臭い噂が業界に流れていたからである。曰く、マイクロソフトがアスキーを買収するらしい。曰く、西がアスキーを辞めるらしい。曰く、西は新会社をつくって独立したがっている。曰く、IBMがマイクロソフト買収に走りそうだ……。
こんな噂が業界を飛び交っていたのである。噂の真偽はともかく、火のないところに煙は立たない。業界ウォッチャーたちはアスキーの動向に耳目を集中していた。そこに日経のスクープである。記事の真偽を確認するための取材申し込みがアスキーに殺到した。
後の四月二日には東京会館のシルバールームでマイクロソフトとアスキーの合同記者会見が予定され、ビル・ゲイツも出席することになっていた。
--西さんも当然出るんでしょう?
そもそもアスキーとマイクロソフトの蜜月の関係は西とゲイツの親交をベースに成り立っていた。
「いや、西は出しません。彼が出ると、彼の去就などに記者の方々の関心が集中し、本来の記者会見の目的がずれる危険性があるから……」
しかし本書のためにインタビューした際、西は、「じつはあのとき、ボクは隣りの部屋にいたんだよ」と真相をぶちまけた。
「郡司が、お前はゲイツを殴りかねないから出るな、と言うんで出なかったの。出ていたら本当にゲイツを殴っていたよ、きっと」
(中略)
でも、路線対立は喧嘩別れの本当の原因ではない、といまになって西は言う。
「これは初めて明かすことだけど、マイクロソフトにいた日系の海外担当副社長がボクにいじわるで、あることないことをビルの耳に吹き込んだの。で、ビルがボクやアスキーに不信感をもつようになった。つまりマイクロソフト社内の派閥争いのトバッチリを食ったわけ。」
ただし、マイクロソフトとの訣別で西がすごく頭に来たことが一つある。それが合同記者会見に出たらゲイツを殴っていたかもしれない最大の理由だった。
ゲイツが、こともあろうに、アスキーの取締役ソフトウェア開発部長の古川享をマイクロソフト日本法人の代表取締役社長としてスカウトしたからである。古川はもともと西が直接口説いてアスキー出版に入社させた秘蔵っ子だった。古川は成毛真(現社長)ら十数人の部下を引き入れてアスキーを集団脱走した。【参考】『西和彦の閃き 孫正義のバネ』小林紀興著、光文社
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